情場としての岐阜 ― ソフトピア・ジャパン再訪とAI時代の創造性
高橋裕行(メディアアート研究者)
20年ぶりくらいだろうか、ソフトピアジャパンを訪れた。岐阜羽島からタクシーに乗り、「ソフトピアまで」と運転手に告げると、「はい、ソフトピアジャパンですね」と復唱された。なるほど、ジャパンも付いていたな、と思いながら、長良川を渡る橋や、どこまでも平面的に広がる田園地帯を懐かしく眺める。
私は1998年にIAMASに入学した3期生である。当時からの時間の隔たりを感じながら、本展を鑑賞した。
1996年にIAMASが設立された背景には、1989年から2005年まで岐阜県知事を務めた梶原拓の情報産業振興政策があった。梶原は、工業化社会の次には情報化時代が到来すると考え、工場の次には情報を生み出す場所、すなわち「情場(じょうじょう)」が必要になると考えた。その発想は、本展の会場となったソフトピア(ソフトウェアの場所)という名称にもよく表れている。そして、この政策を担う人材を育成する教育機関としてIAMASが構想されたのである。
その過程で、東京大学名誉教授で工学者の月尾嘉男の推薦により、元朝日新聞記者であり、長年にわたり科学と芸術の境界領域を取材し、その後大学教育にも携わっていた坂根厳夫が初代学長に迎えられることになった。
西濃地域にはソフトピアのほかにも、各務原にVRテクノセンターがある。IAMAS創設期は、マルチメディア、インターネット、そしてヴァーチャル・リアリティ(VR)への社会的期待が大きく高まっていた時代と重なっている。現在のAIブームにどこか似た空気もあったかもしれない。ただ当時は、今日から振り返れば、はるかに素朴で楽観的なテクノロジー観が支配的であった。しかし、ここで重要なのは、もともと情報産業の人材育成を目的として構想されていたIAMASに、ArtとScienceが強く組み込まれたことである。来るべき情報時代に必要なのは、TechnologyとIndustryだけではなく、ArtとScienceへの深い理解でもある──そうした直感と経験を坂根が持っていたからである。
私たちが在籍していた頃、IAMASにはまだ博士課程は存在していなかった。実のところ「アート・アンド・ラボ科」は修士課程ですらなく、論文提出も必須ではなかった。それと比べると、現在のIAMASにおけるアカデミックな基盤の堅固さには目を見張るものがある。修了課程、博士課程には厳密な学術的プロセスが課され、制作は単なる作品としてではなく、研究としての意義を問われるものとなった。
本展は、その博士課程に在籍する学生である山口達典によって企画された展覧会である。山口の他の出展者の四名はIAMASの学生ではなく、国内のさまざまな教育研究機関に所属し、AIをめぐる表現を研究・制作している作家たちである。
個々の作品の解説や批評については他の論考に譲り、ここでは展示全体について触れておきたい。
同時期に同じビルディング内で開催されていた修了展と比較すると、本展は一つの空間のなかで五つの作品を連続的に鑑賞できる点において、展覧会としてのまとまりを備えていたように思われる。
というのも、修了展はかつてのように一つのホールを中心とする構成ではなく、ソフトピアの各室に分散して展示されていたため、個々の作品をそれぞれ鑑賞することはできても、作品同士の関係性や展示全体の構造を把握することが難しかったからである。結果として、展覧会としての一体的な経験を生み出すという点では、やや弱さがあったように感じられた。
それに対して本展では、ワンフロアの空間のなかに作品が互いに視野に入りながら配置されており、観客は複数の作品を関係づけながら鑑賞することができる。こうした空間構成は、個々の作品を超えて、グループ展としての全体的な輪郭を立ち上げることに寄与していたと言えるだろう。
さらに本展では、山口によって「AIとの協働による創造性の発揮のモデル」という明確なテーマが提示されていた。そのため鑑賞体験も自ずとそのフレームに沿って組織されることになった。この点においても、多様な研究背景や問題意識をもつ作品が並置される修了展とは異なり、本展はより意識的に構成されたテーマ型のグループ展として理解することができる。
展覧会は、それぞれ固有の歴史的時間のなかで成立する出来事でもある。会期という明確な始まりと終わりを持ち、一定の時間的・空間的広がりのなかで成立する。その意味で本展を後年振り返るならば、2026年に開催されたという事実は見逃すことのできない条件となるだろう。なぜなら本展は、AIブームのただなかで企画された展覧会だからである。
米国の調査会社ガートナー(Gartner)が毎年公表している「ハイプ・サイクル(HypeCycle)」と呼ばれる図がある。これは、新しいテクノロジーが社会に導入されていく過程を、「技術の黎明期」から「過度な期待の高まり」を経て「幻滅期」に至り、その後「啓蒙活動期」を通って「生産性の安定期」へと至るまでの段階としてモデル化したものである。
2025年の日本版ハイプ・サイクルによれば、生成AIは「過度な期待の高まり」と「幻滅期」のあいだに位置している。おそらく今後は、徐々に「幻滅期」へと移行していくと予測される。それに対して現在、「過度な期待の高まり」の頂点付近に位置しているのがAIエージェントである。歴史的に見れば、メディアアートはその時々の最先端のテクノロジーを創造的表現のために活用すると同時に、それに対して批評的な視座を提供してきた。メディアアートの起源をどこに置くかについては専門家の間でもさまざまな見解があるものの、20世紀においてもっとも大きなアートとテクノロジーのトピックが、コンピュータの開発と普及であったことは疑いないだろう。
メディアアートがテクノロジーの趨勢に介入するタイミングは作品によってさまざまである。しかし2026年の現時点においてAIを主題とすることは、今後の技術の社会的普及を見据えつつ、その可能性と問題を先取りして検証する先駆的な実験の段階に位置づけることができるだろう。
では、現時点でアーティストや研究者に課せられる使命とは何であろうか。たとえば次のようなものが考えられるだろう。
第一に、技術の「想像力」を先取りすること。テクノロジーが社会に広く普及する以前の段階において、その潜在的な可能性を実験的に探ること。すなわち、技術の「別の使い方」や「想定外の振る舞い」、あるいはそこから生まれる文化的意味を先取りして提示することである。
第二に、技術の「前提」を可視化すること。AIの基盤には、学習データ、アルゴリズム、プラットフォーム企業、さらには資本や労働といった多層的な構造が組み込まれている。ユーザーの視点からはそれらは必ずしも可視的ではないが、メディアアートはそれらを感覚的に理解可能なかたちへと変換し、提示することができる。
第三に、人間観そのものを問い直すこと。AIの登場は、人間とは何かという問いを逆照射する。創造性とは何か、作者とは誰か、知能とは何か──こうした問いは、ある意味で哲学的な思考実験としてアートの領域において展開されてきた。
第四に、複数の未来像を提示すること。市場が志向する効率や生産性とは異なる視点から、ユートピアやディストピア、あるいはそれとは別の社会像を提示すること。言い換えれば、未来社会のプロトタイプを想像的に提示することである。
本展には、これらすべての要素が含まれている。
その意味で、本展は、人間と機械の新しい創造関係を試行する、きわめて同時代的な実験の場であったと言えるだろう。
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ソフトピアの1F、メインエントランスには黄金の織田信長像が置かれている。なぜか。織田信長は尾張(現在の愛知県)の出身であるが、岐阜は初期の信長にとって天下統一プロジェクトの出発点となった土地であった。そもそも「岐阜」という地名は、1567年に信長が中国の故事に基づいて命名したものであり、それ以前は井ノ口と呼ばれていた。信長は、周知の通り、経済を自由化する政策(楽市楽座)を実施し、新兵器である鉄砲を積極的に戦術へ取り入れ、さらに当時大きな政治勢力であった宗教権力を解体するなど、既存の秩序に挑戦する政策を次々と打ち出した。また安土城の建設に象徴されるように、権力の象徴としての都市と城郭のあり方そのものも再設計した。ソフトピアの入口に置かれた信長像は、過去の英雄を顕彰する像というよりも、岐阜から新しい時代を切り開こうとする精神のメタファーとして立っている。我々は今後、創造性を、テクノロジーを、社会を、どのように発展させて行くのであろうか。そんな問いを残したまま、日帰りの岐阜への旅は終わった。
高橋裕行(メディアアート研究者)