
光を浴びて

《じいちゃんが死んだ》
2023年2月27日午後11時10分。夜勤仕事の支度をしていた私は、「おじいちゃんが亡くなった」という知らせを受けた。母はそのように事実をただ述べ、私も翌日帰省することを伝えると、そのまま仕事に向かった。仕事をこなしながら私が考えていたのは、「喪服は手元にあるのか実家にあるのか」ということ、そして「祖父の最期の姿を絵に描こう」ということである。これまで私は祖父を主題とした絵を折に触れて描いてきたが、それは被爆者である祖父を通してヒロシマを見ることでもあった。であれば、やはり今、再び祖父と向き合わなければいけないと考えたのである。
そうして描いたのがこの出棺の場面であり、これは葬儀の記憶がまだ生々しいうちに、自らの心象をそのままに描いた。この一枚から、本展示の構想が始まったのである。
『報告文』p.450-451


《光を浴びて》
祖父の写真を遺品とともに現像したサイアノタイプ。祖父は原爆の閃光によって火傷を負い、やりたいこともあったろうに、数年のあいだ寝たきりになった。そののち回復して80年近く生きたわけであるが、被爆者とカテゴリーすることで、その人生が不幸であったと私は言いたくない。祖父の人生に原爆は不要であったことは言うに及ばないが、その一点で彼の人生そのものを否定しないでほしい。そこで本作は、祖父が被爆した場所に赴き、爆心地の方向に登る八月の太陽の光によって感光した。その後の思い出を温かい太陽の光に浴びせることで、光の意味を反転させたいという試みである。
『希望表現』p.107-108


Photos ©︎ Yoshitaka Ito
《娘と母》
祖父の持っていた「コンデジ」のメモリには、たった27枚の写真しか入っていなかった。それは娘、つまり私の母と二人で行ったマレーシア旅行で撮られたものである。そこに写された娘の表情は、私の知る母のそれと僅かに、しかし確実に違っていた。そこで本作は、私も遺品のカメラを使って母を撮影し、その写真を祖父が撮ったものと並置している。それは祖父の写真を「一人の人物が写っているもの」としてではなく、「祖父の見た景色」として強調したものである。
『対句法』p304

《失われた語りを聴かせて》
祖父の残したカセットテープレコーダーには、英会話学習のカセットが入っていた。しかし、それを聞こうと再生ボタンを押しても、音声は流れない。なんとか再生できないか試行錯誤をしていると、再生ボタンを押し込まず、まるでマニュアル車の半クラのような状態を維持すると、レコーダーはピッチのズレた声で話してくれることが分かった。本作は、その壊れたレコーダーでカセットを再生しようとする私を撮影したものである。それはまさに、失われた語りを求めた姿である。
『比喩法』p.400-401

Photos ©︎ Yoshitaka Ito

Photos ©︎ Yoshitaka Ito
《前を向いて歩く》
本作は、本展示を構成する作品群の中でも最後に制作したものである。これまでの制作を通して私が考えたこと、至った結論、消えぬ不安、それら全てを携えて、惑いながらもそれでも前に進むという意思を込めた作品であり、その想いを、車椅子に乗った祖父を私が押して歩く姿に重ねている。
『叙情文』p400-401


Photos ©︎ Yoshitaka Ito
各作品に付随するキャプションは、祖父の形見を参考として製作している。これは「文章表現辞典」という東京堂出版から表されたもので開いてみると、活版印刷で刷れた跡が見えて心が踊る。この試みは、残されたものから学び、実践することで、ただのコピーに終らずにしたいという考えである。ともかく、この本は面白い。
『悪文』p.14-16



Photos ©︎ Yoshitaka Ito

Photos ©︎ Yoshitaka Ito

Photos ©︎ Yoshitaka Ito

Photos ©︎ Yoshitaka Ito
